04« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»06

ふであと

  : 

徒然なるままに、もの書き。

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第九章 「追憶」_10 

 空を仰いでいた。
 分厚い雲に覆われた空は、今にも落ちてきそうな重量感で視界を覆っている。それ以外には何も無かった。
「…………」
 思考がひどく重い。
 身体もそうだ。
 そのことに気づくまで意識は覚醒の境界を行き来し続け、何も考えぬまま、身動き一つせぬまま、男はその場に転がり続けていた。
 気がつけば、雲が赤く染まっていた。金色の雨がそれに混じり、ひどく現実味のない景観を現出させている。
 ようやく覚醒に傾いた頭の中、霧のかかったような記憶を緩慢にたぐり寄せた。
 ここはどこだ。
 俺は何をしている。
 俺は……誰だ。
 時間の感覚がまだ曖昧だった。だから、とにかく一つ一つゆっくりと思い出そうと思考を巡らせる。
 同時に身体を動かそうと試みたが、すぐに疲労が押し寄せてきて動かせない。あまりに重い身体は、記憶の曖昧さよりも怖い。記憶はいずれ思い出せるような気がしていたが、身体が動かないでは、ここから逃げられないからだ。
 ……逃げられない?
 そうだ、俺は逃げていた。
 でも何から? 何故?
 それが思い出せないまま、追われていた恐怖だけが蘇ってくる。身体は動かない。でも逃げなくてはいけない。
 漠然としたそれに駆り立てられ、男は懸命に身体に鞭を打つ。重すぎる疲労感を無視し、無理矢理にでも身体を動かす。
 それに答えてくれた右手が動いた。何かを掴んでいる。知っている気がする感触だ。ともかく、何でもいいからとそれを持ち上げ、ミシミシという首をわずかにそちらへ向ける。
 黒ずんだ何かの塊。ひどく冷たく、堅いようにも柔らかいようにも感じられる感触と、見た目よりもずいぶんと重い印象は、それが何であるかが次第にわかってくると、恐怖にすり替わっていく。
 自分の右手が掴んでいたのは、誰かの右手だった。
 指の一つが欠け、乾いた血に黒く汚れたその手は、肘までしかない。
 千切れた右手。
 思わずそれを落とすと、手に向けられていた意識が周りを認識し始める。
 渓谷だった。
 切り立った崖が見え、その切れ目に太陽が沈んでいく。闇に飲まれて見えなければいいものの、まだ残っていた陽光が、その渓谷の惨状を赤く浮かび上がらせていた。
 一面に死体が転がっていた。
 ある者は甲冑を着込み、ある者はボロが身体にかかっているだけ。
 すぐには数えられぬほどの死体がそこらの石くれのごとく転がり、自分もまたその一つかのように横たわっているのがわかると、男は恐怖に駆られて絶叫した。
 だが声は出ず、代わりに涙が一筋こぼれる。
 発狂しそうなほどの恐怖が全身を突き抜けると、それが軋む感触と一緒になって身体を動かそうとする。
 右足が動いた。左足もだ。足の下の死体を蹴りながら身体を起こそうとする。だが、左手が動かない。
 確認するため、男はまた首を巡らせた。
 自分の左手は、その下から伸びた一本の剣に貫かれていた。引っかかって動かないのならと引き抜いたとき、男は強烈な違和感に襲われる。
 痛みが全くない。
 自分の身に降りかかった異変は周囲のそれより恐ろしく、恐慌を引き起こした男は転がるようにその場から逃げ出そうとする。だが気ばかりが焦ってなかなか進まず、次第に辺りは闇に取り込まれていった。
 ようやく死体が途切れ、這々の体でその場を離れる。後ろを確認したい衝動をねじ伏せながら、足を引きずるようにして男は走った。
 その中で、男は自分の名を思い出した。
 それともう一つ。自分が死んだときの記憶を。

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第九章 「追憶」_09 

「またケルンテン、ですか」
「そうです。シグムント、ハルギータの使者としてケルンテンに赴き、緩和剤生産のための協力を要請してください」
「あ、はい……」
「堅くなる必要はありません。細かい交渉事はユージンが上手くやってくれるでしょう。あなたはハルギータの顔として、雪獣王に対すれば良いのです」
 緩和剤の大量生産にはシルバー鋼が足りず、そのため、ケルンテンの協力が必要らしい。その交渉の使者という役割を求められたカペルは、再び謁見の間に呼ばれていた。
「これはハルギータ一国の問題ではありません。月の雨が止まぬようであれば、リバスネイルは世界中の問題となりましょう。ケルンテンを始め、フェイエールやブルガスとも協力しなければならず、今回の要請はその第一歩となります」
「はい」
「ブルガスの蒼竜王にはソレンスタム殿が伝えてくださいますが、残念ながら、ケルンテンと我が国には、そういったパイプはありません。シグムント、ケルンテンを襲ったリバスネイルやモンスターたちを討伐し、街を救ったそなたたちであれば彼らも話を聞く耳を持ってくれましょう。宜しく頼みましたよ」
「出来るだけ頑張ります」
 自分にそんな大役が出来るだろうかと不安にもなるが、女皇の仰るとおり、ユージンさんたちがきっとなんとかしてくれるだろう。自分は代理の代理なのだから、適度に頑張るだけだ。
「炎の皇女、あなたにはフェイエールへの橋渡しをお願いしたいのですが」
「…………」
 らしくもなく押し黙ってしまったアーヤを見遣り、ヴェスプレームの塔での戦いの前、彼女が両親と喧嘩をしていたことをカペルは思い出した。あれ以来、ほとんど口も聞かずにまた飛び出してきてしまったらしく、ドミニカさんもそれを心配していた。協力の要請ともなれば直接会わないわけにもいかず、アーヤはその辺りの複雑な気分を未だ解消できていないのだろうか。
「あの……、今回のケルンテンとの交渉が終わるまでは待っていただけませんか?」
 いつかは帰る場所なのだから、後回しにしても仕方ない。そんなことがわからない彼女でも無いはずで、それでも今は、という気分の方が強いのだろう。
 それを察したのか、優しく慈母の微笑でスバルが答えた。
「フェイエールではいまだ月の雨は観測されていません。まだ時間はあるでしょうから、気持ちの整理をなさい」
「……はい」
「シグムント。シャルーク殿のためにも、皇女を必ずお守りなさい。いいですね?」
「はい、陛下」

 謁見を終え、受け取るものも一通り受け取ると、カペルたちは皇城出口にて集合することになっていた。準備を終えたカペルは、先ほどのことが気になったこともあって、アーヤと共にそこへ向かっていた。
「大丈夫、アーヤ?」
「何がよ」
「いや、さっきの……」
 思っていたよりも冷たい反応に焦っていると、それが可笑しかったのか、彼女は少し笑いながら言った。
「あーあ、カペルに心配されるなんて私も落ちぶれたものねー」
「はは……」
「大丈夫よ。それよりあんたこそ大丈夫なの? 交渉中にボロを出したら承知しないんだからね」
「気をつけます」
 少し元気になった彼女とそういうやりとりをして進むと、出口の近くにある教会の所で、二人を待っている人がいた。
「カペルくん!」
「ファイーナさん、どうしたの?」
「カペルくんたちが出発するって聞いて、それで顔を見に来たの。私たちはもう少しこっちにいるから」
「そうなんだ」
「用事が済んだら一度ショプロンに帰らなくちゃいけないの。それで……、暫く会えなくなっちゃうから」
「気をつけて帰ってね。またみんなで遊びに行くよ」
「うん。待ってる……。ずっと待ってるからね」
「ところで、ずっと気になってるんだけど……、レイムはそこで何してるの?」
 さっきからファイーナの後ろで奇っ怪な体操を繰り広げている彼女の弟の姿が目に入り、カペルは気になって仕方なかったわけだが、
「あれで修行してるつもりみたい。カペルくんみたいにみんなを守るんだ、って」
「僕みたいになったら困るよね。すぐに逃げ出しちゃうよ」
「そんなことないよ、きっと」
「レイムー。危ないことしちゃダメだよー」
「カペル兄ちゃん!」
 こちらに気づいて走ってきたレイムの頭を撫で、カペルはファイーナに言った。
「何かあったら必ず助けに行くから」
「約束だよ」
「うん」
 手を握られ、胸元に引き寄せるようにして「待ってるから」とファイーナに言われ、カペルは彼女の瞳を覗き込む。
 自分の手が届く範囲は狭い。それでも、目の前の一つ一つを片付けていけば、それは彼女たち新月の民を守ることにも繋がっていくのだろうか。封印軍に参加した新月の民も少なくない。誰かを助けるために別の誰かを傷つける。それが避けられないのなら、僕にやれることは、手の届く範囲の人たちを守ること。
 今までずっと、そこには誰もいなかった。守るものもなければ、守るために誰かを傷つけることもなかった世界。複雑になった自分の世界を見つめ、大変だがこれが生きているということなのだろうと感慨にふけってみたはいいが、「うほん」と聞こえた咳払い一つが、とても複雑でとても大変な状況を思い出させてくれた。
 慌ててファイーナの手を離し、アーヤのご機嫌を伺おうと視線を巡らせる。アーヤはそれを無視してファイーナに言う。
「気をつけね」
「アーヤさんも」
 一つ火花が爆ぜた気がしてカペルは後じさったが、「そうだ」とファイーナが何かに気づいてくれたおかげで戦闘は避けられたようだった。
「カペルくん、これ、お守り」
 そう言ってファイーナから手渡されたのは、小さな人形だった。
 カペルの姿を模した人形。ファイーナが手作りしたという人形は、彼女とレイムのものもあるらしく、それをひらひらとこちらに見せる。
「何かあったら、その人形が身代わりになってくれるから、必ず身につけておいてね」
「うん、大事にするよ」
「それと、こっちはアーヤさんの分」
「私のも?」
「うん。また三人で会いたいから」
「……うん」
 思いの詰まった人形は、きっと僕たちを守ってくれる。返せるものは何もないから、今は再会を約束することしかできないだろう。
「おーい、あにきー、置いてくぞー」
 出口の方に皆が集まっているのが見え、ヴィーカがこちらに向けて手を振っている。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
 ファイーナとレイムに見送られて、カペルとアーヤは仲間の待つ場所へと走った。

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第九章 「追憶」_08 

 専門用語で埋め尽くされた数枚のパルプ紙と数冊の分厚い本、ビンや器に入れられたいくつかの薬が並べられ、目の前のテーブルはすでにいっぱいだった。
 庵より戻ったキリヤはすぐにスバルに呼ばれ、師であるソレンスタムに伴われて彼女の部屋へとやってきた。
 ここに入ったのはいつ以来だろうか。いや、それを忘れるはずはない。
 探求心から禁忌に手を出そうとし、ハルギータに居られなくなった自分を断罪するのではなく外へと送り出してくれた女皇。それを自分の所為だと謝罪する彼女の顔は今でも覚えている。
 自分を含め、子供に接するときはいつも微笑をたたえていた。一人で居るところを見たとき、どこか遠くを見ながら寂しそうにしていたと感じたこともあった。だからこそ、あのとき初めて見た、身を引き裂かれているような彼女の表情は目に焼き付いていた。
 ハルギータの住人で彼女と接したことのないものはいない。それはキリヤも例外ではなく、小さな頃はスバルに褒められたくて勉強に打ち込んだことを否定は出来なかった。
 他のハルギータの子供と同様、自分も彼女のことが好きだったのだろう。だから、追い出されたことを寂しさのあまり恨んだこともあった。今となってはガキの理屈でしかないとも思えるが、見送りもいないまま、夜のコバスナに足を踏み出したときの不安を思えば、まあそれも仕方ない。
 望んでか望まずか、こうして彼女の役に立てる日がやってきてしまったのだ。今までの恩やら借りやらを、ようやく精算できる。
「試験薬では思っていた通りの効果は得られました。ですが」
「ええ。これを大量生産するとなると……」
 リバスネイル化を抑制する薬の大量生産。月の雨によるリバスネイル化に対応するために必要な措置であり、カペルたちに女皇が約束したことではあるが、必要とされる量を考えれば、障害が出てくるのはむしろこれからだろう。
 思案顔の彼女の横で、スレンスタムが資料を眺めている。
 師匠も一緒にいるのだから、なるようになる、か。
 スバルの思案が固まるのをキリヤは待っていた。衛兵の案内もなく、部屋のドアが開いたのはそんなタイミングだった。
「悪い悪い、遅れてしまった……、おっ、キリヤ、キリヤじゃないか」
「げっ……カリン」
「さま」
「…………さま」
 ハイネイルというのは総じて物静かなものだが、この女だけは別だった。不躾にキリヤの顔を覗き込む彼女は、ハルギータのハイネイルで、名をカリンという。スバルの友人でもある彼女は有名な学者の一人でもあるわけだが、キリヤは昔からこの女が苦手だった。遠慮など知らないといった風にずけずけとものを言い、なまじ頭の良いせいか、その言動は常に核心を突いてくる。かと思えば、こちらが困っているのを見るとからからと笑い、気にするなと言ってくるような調子だから、掴み所のない人、という印象は、久しぶりに会った今も変わらなかった。
「カリン、戻ってきてくれたのですね」
「おまえが私を呼び戻すくらいだ。面倒なことになってるんだろう?」
 スバルにそう答えながらキリヤとの間に入ってきたカリンは、資料よりもまずは、とキリヤの顔を間近で覗き込む。
「おーおー、なんだい、あの小生意気なガキがいい男になったじゃないか。そうか、緩和剤の開発者ってのはおまえだったのか」
「……どーも」
「相変わらず無愛想だねぇ。まあいい。おっ、それが資料かい? どれどれ……」
 やはり苦手だと再確認したキリヤをよそに、彼女の視線は資料へ向けられていた。すでに学者の目に変わった彼女の口から「月の力を抑える薬ねぇ」と言葉が漏れる。
「……随分やっかいなものを作ったもんだ」
「リバスネイル化の危険に気づけばとうぜ――」
「いや、そっちじゃない。こっちだ」
 彼女が指さしたのは、パルプ紙に一枚だけ混じっていた羊皮紙だった。
 それは、ヘルドが書いたものだった。
 キリヤが作った緩和剤とは真逆の、月の力を高めるための薬の製造法。粉末状のその薬の実物もテーブルの上にある。
 ヘルドが身に帯びていたものの中にそれはあった。わざわざ持ち歩いていた理由はわからないが、師はそれを託されたものと受け取ったようだった。
 抑制剤の効能を高めるためには、対になるそれは必要だったものだ。ヘルドが試験薬を狙った理由も、キリヤのそれとは逆だが、同じだ。
 それを、託された、と感じるほどには感傷的になれないキリヤだったが、無駄にするほど馬鹿でもない。手に入ったものは利用するまでだ。
 そのヘルドの書いたものを、カリンは一目見て理解した。
「まあそれはいい。だがこれだと」
「はい。シルバー鋼が足りません」
 そうだ。スバルの答えたとおり、ハルギータの住民のための分だけを考えたとしても、精算には相当な量のシルバー鋼が必要になる。ハルギータではそれは採れず、備蓄量も多くないはずだ。
「となると、ケルンテンの協力が必要になるな。シルバー鋼の産地はケルンテン領に集中している」
「ええ」
「だが、あの戦争以来、政府間の交渉なんてほとんど無いだろう。あっちからしてみたら、切り取った領土を奪われた相手だからな。まあそのカサンドラ領も今じゃ封印軍のものになってしまったが」
「私から親書を送ろうと思います」
「雪獣王が受け取るかな?」
「それは……。では私が直接参りましょう」
「それはダメだ。元首が直接行って助力を請うのでは、ハルギータがケルンテンの下風に立つことになる」
「そんなことを言っている場合ではないでしょう。それに、月の雨がはケルンテンの方がよく降ります」
「まだそんなことを言っている場合だよ。直接の被害はほとんで出てない。おまえが行くのは最後の手でいい」
「…………」
 国家の体面というものがある。それはキリヤにもわかったが、同時にくだらないものだとも思った。おそらくスバルもカリンも同様に感じているのだろうが、くだらないからと軽々に動けるような立場でもないのだ。
「……正門が閉ざされているなら搦め手からいけばいい。知っているハイネイルがいる。気にくわないやつだが、そいつに協力させて接見の場を作らせよう。使者はシグムントたちなんだろ?」
「はい。彼らが一番状況を理解していますから」
「よし。じゃあ紙とペンを借りるよ」
 カリンはスバルの机から紙とペンを取り出し、すぐに手紙を書き始めた。
「女皇陛下」
「ソレンスタム殿。どうかされましたか?」
「私は一度ブルガスに戻ろうかと思います。蒼竜王にもこの事態を知っていただき、協力をしていただいた方がよろしいでしょう」
「お願いできますか」
「ええ」
 あののろまな国王には早めに状況を理解させておいた方がいいだろう。ソレンスタムの方を見遣り、そういえばブルガスに行くのも久しぶりだな、と当然師匠について行くものと思っていたキリヤだったが、
「キリヤー、おまえは私の手伝いだからなー」
 考えを読んだかのように、カリンに先回りされてしまう。
「……嫌だね、俺があんたの手伝いをするなんて」
「キリヤ、あなたはカリン殿を手伝いなさい」
「し、師匠」
「私からもお願いします」
 スバルにまで頭を下げられては断れるはずもない。一つ大きくため息をついたキリヤは、やり場を無くした視線を資料の山に落としながら言った。
「馬鹿共のお守りはこれっきりにしてくださいよ」
 師と女皇が苦笑している気配がしたが、それには気づかないふりをするために、キリヤは資料にもう一度目を通し始めていた。

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第九章 「追憶」_07 

「ハルギータって良いところよね」
 商店の並ぶ緩やかな下り坂。ハルギータ皇城の商業区は螺旋を描くようにゆっくりと地下へと伸びている。吹き抜けの上部から取り込まれた太陽光を補助するように、何かの花を模している洒落た街灯があたりを照らし続けているからか、地下といっても監獄のような場所とはずいぶん違う。降りてくるような穏やかな風が空気を攪拌しているおかげで心地よくすらあるのが、ハルギータの商業区だった。
「女皇様の人柄のおかげかしら」
 ハルギータの女皇、スバルの印象を街のあちこちで感じるのは確かにそうだ。四百年の治世がそうさせるのだろうか。時間と愛情を注いで築き上げられた女皇の城。四百年という時間に、街の印象とは逆の薄ら寒いものを覚えていると、アーヤの視線がどこか遠くに泳ぐのが見え、その少し寂しげな瞳に映ったであろう彼女の両親の姿をドミニカもまた見た。
 あの方の娘。
 小さな頃から見守り続けたアーヤの顔に、最近よく炎鳳王シャルークの面影が重なるようになった。それほど長い時間というわけではないにしろ、解放軍に加わって戦闘の最中に身を置いてきた経験がそうさせるのだろうか。皇女でありながらそうしてしまう無鉄砲さはともかく、その真っ直ぐな心根は変わらずあってほしい。親心にも似た感情を自分のうちに確かめ、それを上手く処理できないでいる自分の中に女を垣間見たドミニカは、自嘲気味に笑った。
「あっ」
 急に立ち止まったかと思うと、アーヤの表情から両親を思う寂しさの影が消え失せていった。代わりに現れたのは、怒りとも悲しさとも違う女のそれ。
 視線を追うと、そこにはカペルとファイーナの姿があった。アクセサリーを扱う商店の前で二人が談笑している。
 変わったのは、こういうところもか。
 人一倍素直な性格のくせに、こういうところで意地を張ってしまう。強くなったといっても、未だ色濃く残る少女の顔がふいにおかしくなり、ドミニカはばれないようにくすりと笑い、こう言った。
「二人にしておいていいのかい?」
「な、何よいきなり!」
「同じ新月の民どうし、ってのはいろいろ感じるところもあるだろうね」
「そういうものかしら……」
「アーヤ、行っといで」
「ドミニカ!」
「ほら、さっさと行く」
 ぽんと押し出してやった先でわずかに戸惑い、躊躇して立ち止まったかと思うと、ふいに赤らんだ顔をこちらふりむけたアーヤは「別にそういうんじゃないんだからね!」とだけ言い残してカペルの方へと一歩を踏み出した。
「わかってるよ」
 と相づちを打ったときにはもうこちらは意識の外。艶のある黒髪を翻して走り出したアーヤの背を目で追い、ドミニカは「後悔は後にも先にも立たないからね」と独りごちてそれを送った。
「後悔、か……」
 二言目は自分に向けてだった。
 自分はどうか、と問いただしてみても答えは決まっている。あの方の娘を守る。それが自分の心に対する筋の通し方と決め、今はそれでいいのだと言い聞かせてきた。後悔というよりは諦めに近い空虚さが一瞬胸の内を暗く照らしたが、その処理の仕方を心得ているのがドミニカだった。
 アーヤが混ざって痴話げんかの様相をていしてきた三人を見遣り、慌てふためくカペルの表情をいじわるくクククと笑うと、ドミニカはそれを放置してさらに商業区を下っていった。
 フェイエールのバザールに並ぶ品々は世界中から集められていると言ってもいいものだが、ハルギータの物は他の地方の物に比べてずいぶんと少ない。地理的な問題で流通が難しいから仕方ないといえばそれまでだが、封印軍との戦いが終わればそれもいくらか解消されていくだろう。
 肥えた目にも物珍しく映る品々を眺めてドミニカはさらに道を下る。
 見慣れない食べ物や装飾品を見遣っていると妹のエミーのことを思い出す。同じ戦士の道を進みながら、一方は傭兵、一方は親衛隊の隊長だ。戦場に自分を見出した自分のような生き方をしなくてすんだ妹なら、こういう品々に目を輝かせることも出来るのだろうか。あの方の側にいたいという想いを押し殺し、それを忘れるために傭兵になったのもずいぶん前だ。その時間が培ったのか、装飾品の類よりもまず武具に目が行くのが自分なのだから、それを今更変えようとも思えなかった。
「今日は少し自嘲気味だな」
 そう気づける気分をさらに笑っていると、居並ぶ商店の一つに珍しい姿を見つけた。
 どうやらそこはアクセサリーの店らしい。
 ドミニカにしてみれば少女趣味と思えるピアスを手に取り、目を輝かせているのは、ヴィーカだ。
「これ……いや、こっちかな……」
「なかなかかわいいじゃないか、それ」
「ひっ!」
 ピアスを見るのに夢中でこちらには気づいていなかったらしい。後ろから声をかけると、ヴィーカは猫のように飛び跳ね、身構えながらこちらを確認した。
「……なんだ、ドミニカか」
「なんだは無いだろう、なんだは。一人で買い物かい?」
「あ、いやこれは、その、えーと……」
 両手に持ったピアスとドミニカの顔を交互に見つめ、ヴィーカは決まりの悪そうな顔を浮かべる。少女趣味なアクセサリーを見繕っているところを見られるのは、どうやら困るらしい。
(それもそうか……)
 本人は秘密にしているらしいし、周りの連中も気づいていないのがほとんどだ。解放軍の男どもは朴念仁ばかりだからな……。
 どういう事情かは察しはつくし、このままヴィーカの小さな嘘に合わせてやった方がいいだろう。その方が面白い。
「友達に贈り物でもするのかい?」
「そ、そう! そう友達! ダチにプレゼントなんだよ。いやあ、悩んじゃってさ」
「ふーん」
 いい逃げ口が見つかったとほっとするヴィーカを見て、ドミニカは思わず頬が緩んでしまう。悪いとは思いつつも、無理に秘密を打ち明けさせたところでいいことはそれほど多くない。このまま、このごっこに付き合ってあげればいいのだ。かわいいアクセサリーの一つでも欲しくなる。年頃からすれば、彼にも、いや、彼女にもそういう気持ちはあって当たり前なのだから。
「さて、いま見てたところあたりでいくと、小さくて邪魔にならなくて、でもちょいとオシャレなやつってとこか。動きにくくなるようなのはダメなんだよね」
「え、あ、うん」
「とすると、こっち……はちょっとでっかいね。これは派手すぎるか……。ヴィーカ、どう?」
「うーん、おいらとしてはもうちょっと地味目の色が好きなんだ……その友達が! こっちは?」
「そりゃ地味すぎる! もう少し飾りの大きなのにしな。これなんてどうだい?」
「ちょっと大きすぎるかなぁ。動きづらいのは困るんだよなぁ……ってダチが言ってた」
「じゃあこれだ。小さいけど飾りが凝ってる」
「あ、ちょっといいかも……ってすげえ高いじゃん! ダメダメ! もっと安いのがいいよ」
 アクセサリーに目を輝かせる姿は少女のそれだ。夢中になっているその横顔を見遣り、これで気づかない連中の気が知れないとドミニカは一つため息をつく。
 そうして顔を上げ、あたりを見回してみると、後ろの方からエドアルドがやってくるのが見えた。無愛想なのはいつものことだが、「よぉ」と手を上げて挨拶するくらいの余裕は出来たらしい。ケルンテンでの出来事のおかげでいくらか角が取れ、つんけんとしているだけのガキっぽさは無くなった。よく笑うようにもなったし、本来はこういうやつなのだろう。
「ドミニカ、ちょっといいか」
 そう言われ、身体をそちらに向けた直後、
「うううーん、いいや! じゃあもうこれに決めた! ねえどう思う、ドミニ、カ……あ、あぎゃああああああああ!!」
 ようやくエドアルドの存在に気づいたヴィーカが絶叫する。あまりの驚きぶりに店員が後ろにひっくり返ってしまった。
「ヴィーカ、買い物か?」
 ヴィーカの絶叫を意に介さず、エドアルドが言う。あまりの鈍感さにこちらが思わず頭をかきたくなるが、まあエドアルドにはこのあたりが限界だろう。
 いや、もしかしたら逆なのか? ヴィーカがアクセサリー屋で目を輝かせていても可笑しいとは思わない。それはつまり、ヴィーカが女であると知っているのでは?
「と、ととと、友達に贈り物を……」
「そうか」
 真っ赤になっているヴィーカを見、それを特に気にするでもなくこちらを見遣るエドアルド。
 ……そこまで気の回るやつではない、か。
「ヴィーカ、もうちょっとかわいいやつにしてみたらどうだい?」
「え、あ、えーっと……いや、これでいいよ。かなり安いし、これでいい! あ、やべ……」
「どうしたんだい?」
「財布忘れた……」
「忘れた? まいったね、私も今は持ってきてないんだけど……あれ、ちょうどいいところに」
「ん、俺か?」
 エドアルドに話を振ってみると、案外素直に懐の財布を取り出し始め、ヴィーカが慌ててそれを制しようとする。
「わ、悪いよそれは! 後でまた来るから……ってもう買ってるし」
「ほら」
「でも……」
「おまえにはいろいろ迷惑もかけたからな。これくらいはさせてくれ」
「………」
「友達、喜ぶといいな」
「うん……喜ぶよ。絶対喜ぶと思う。ありがと、エドアルド」
 包装されたアクセサリーを受け取り、ヴィーカは照れくさそうに鼻をこする。色気も何もない渡し方もエドアルドらしいと言えばそれまでだが、ヴィーカの方もまだまだ幼い。少年のように振る舞っていられるのもあと数年なら、その頃には別の受け取り方も出来るようになるのだろうか。
「若いねぇ」
「それより、ドミニカ。おれはあんたに用があったんだ」
「なんだい藪から棒に」
 わかってかわからずか、ヴィーカを喜ばせる行動をしてみせたのだ。それに免じて、用とやらを聞いてやってもいい。
「付き合ってほしい」
「はい?」
「へっ!?」
 ドミニカよりも驚いてみせるヴィーカを横目にエドアルドは続ける。
「リバスネイル化の一件で、俺は自分の未熟さを痛感した。俺はまだまだ強くならなければならない。もっと修練を積まなければならないんだ」
「ああ、そっちね……」
「力だけじゃない。いつ暴走するかもわからないこの月印と付き合っていくためには、精神的にもより強くなる必要がある」
 かわいそうに、混乱してしまったヴィーカはエドアルドの話なんて聞こえていないようで、あたふたして手の中のアクセサリーを見つめている。
「それには、あんたの助言が必要だ。以前の俺はそれを無視して、結果、ああなってしまった。またそうならないためにも修行に付き合って欲しい」
「それは別にかまわないけど、あんたはもう大丈夫だと思うけどね。あの一件でずいぶんすっきりしたんじゃないかい?」
「それはそうだが」
「肩の力が抜ければ、十分使いこなせるさ。光の英雄シグムントの隣で戦い続けていたんだろう? それくらいの素質はあるはずさ」
「だがしかし……」
 とは言うものの、無碍に断る理由も特にない。傭兵としては、本来の力を出し切ったエドアルドを一度見てみたいというのもある。一度決めたらなかなか動かない頑固さは、見方を変えればエドアルドの長所。真っ直ぐさを取り戻しさえすれば気持ちのいいやつなのだから、それくらの願いは叶えてやるのが年上の女の流儀だろう。
「まあいいか。こっちの修行にも相手が欲しかったところだし」
「そうか、助かる!」
「じゃあ準備があるから皇城の出口で待ってな」
「ああ、わかった」
 まるでおもちゃをもらった子供だな、と嬉々として去っていくエドアルドを見送り、ドミニカはそのことにまだ気づいていないヴィーカの方へと目をやった。
「ヴィーカ、おい、ヴィーカ!」
「お、おう! ……ってあれ、エドアルドは?」
「もう行ったよ」
「え、あれ? あ、え、えーと、その付き合うとかどうとか」
「そうだよ、これからあいつの修行に付き合う約束をしただけさ」
「……修行?」
「そうだよ、修行。じゃあ行くからね」
「あ、うん」
 まだぼんやりとしているヴィーカの反応を見て、ドミニカは頭を掻きながらその場を去る。
「やれやれ、アーヤといい、ヴィーカといい……まだまだ子供だねぇ」

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第九章 「追憶」_06 

 キリヤが緩和剤の資料やら何やらを取って戻ってくるまでには、暫く時間がかかる。近くに鎖があるわけでもなく、必然、それまでは束の間の休息ということになり、皆が思い思いにハルギータの街を楽しんでいた。
「遅いですね」
 そんな中、ユージンに呼び出されて、カペルは皇城の門の近くにある教会にいた。告げられた時間に待ち合わせ場所に来たのだったが、そこにはトウマがいるだけだった。
「家の用事がどうこうと連絡があった。なに、直にやってくる」
「はあ……」
 目的も教えられていないカペルにとっては、この待つ時間というのは何とも落ち着かない。取って食われる心配は……、まあ無いと思いたいけれど、あえて言わないのだろうから、目的を聞いてみてもいいものかどうか。
「あの、今日はどちらへ?」
「それも直にわかる」
 まぶしすぎるくらいに真っ直ぐな笑顔には「はあ」と気の抜けた返事をするしかなく、何ともつかみ所のない人だなと再確認したところで、カペルはあたりを見回した。
 だだっ広い空間にベンチが並び、それらに対面するように、色ガラスの光を背中に受ける女神像が鎮座している。あの女神像もまた、月の神ベラの姿なのだと神官であるユージンに聞いたのはいつだったか。人に力をもたらす男性の姿、大地を産み落とした女性の姿。前者は儀式の最中にも見たことがあるが、この女性の姿というのは誰がいつ見たのだろうか。
 学のない自分にそれがわかるはずもなく、何より月の神に対する信仰心など持ち合わせていられるような境遇でもないのだから、女性像もまたベラだと言われても、そうですか、と答えれば十分なのだろう。
 そんなことをぼんやりと考えていると、やっとユージンがやってきた。相変わらず重そうな荷物を背に抱えながら、「すまない」と息を整えつつ言う。
「父さんに掴まってしまってね」
「お父さんですか?」
「ああ」
「ユージンさんのお父さんも神官さんなんですか?」
「いや、うちの家系は商家でね。早く旅を終わらせて家を継げと迫られてたわけさ」
「おぼっちゃんなんですね」
 少し疲れた顔で「はは……」と笑うと、ユージンは「それじゃあ行こうか」とトウマに言った。
「ああ、あそこに行くのも久しぶりだな」
「僕らが旅立つ直前に行ったきりだね」
「そうであった」
 出発だというのに自分が不在のまま話が進んでいく。
「あ、あの、どちらへ……」
 と聞いてみても、二人はにこりと笑って答えてはくれなかった。

「あのー、そろそろ教えていただけないでしょうか」
 ハルギータ皇城を出てすぐ左に曲がり、城の周囲をぐるりとまわるようにコバスナの森を歩く。行き先を教えない二人に着いていくしか選択肢のないカペルは、獣道としか言いようのない茂みを歩いていた。
 ちょうど正門と反対側の辺りに出ると、前を行く二人は城を離れてさらに森の奥へと歩いて行く。
「こんなに遠くに行くのなら、朝ご飯、もっと食べておけばよかったよ……」
 どれくらい歩いていただろうか。例のごとくカペルの腹の虫が叫びを上げ始める頃、ふいに開けた場所に出る。
 背の高いコバスナの木々の間から空が見え、まだ中天に上らない太陽の存在が確かめられるその場所は、ちょうど待ち合わせ場所だった教会の空間と同等の広さのある原だった。
「あの、ここは?」
「私たち三人が使っていた、……まあ、秘密の修行場と言ったところか」
 トウマがにこやかに言う。
「それより前はトウマとシグムントの秘密基地だったんだよ。出ちゃいけないって言われてるのに皇城を出て、その度に僕が呼びに行かされてさ」
「私とシグムント以外にこの場所を知っていたのはユージンだけだったからな」
「誰にも言うなって言うからそうしていたけど、トウマを探すコマチくんをまくのは大変だったものさ」
 奥の方には倒された木がいくつも見え、三つ並んだ切り株がそのそばにある。あれは椅子代わりといったところだろうか。
「三人の子供時代……」
 切り株に座る三人の幼少期の姿を想像してみるものの、二人はともかくシグムントの子供姿というものはどうにも上手く想像できない。代わりに自分の子供の頃の姿をそこに立て、トウマとユージンが話す横でむっつりと座っていると想像してみることで埋め合わせてみたが、違和感はどうしようもない。
 シグムントさんの子供時代……。昔からあんな口調だったのだろうか。
「ん、カペル、何がおかしいのだ?」
「え、あ、いや……。それで、どうして僕をここに?」
 トウマと一度目を合わせ、メガネを押し上げてからユージンが言った。
「君には、シグムントのことをもっと知っておいてもらいたくてね」
「シグムントさんのこと……」
「光の英雄の代理をやるというのももちろんなんだけど、あいつは何故か君のことを気にかけていた。だから、英雄の件が無くても、一度ゆっくりと話しておきたかったんだ」
 ユージンたちに倣い、切り株の近くに荷物を下ろす。ユージンが荷物をごそごそと探り始めたので早めの昼ご飯かと期待したカペルだったが、出されるものを確認するよりも早くトウマに「カペル」と呼ばれて振り返った。
 トウマは中腰に構え、手を刀の柄に合わせている。
「え、ちょ、トウマさん?」
「昼餉の前に運動といこう。カペル、剣を抜け。我がハルギータ一の剣豪、シンカイ流の太刀筋をそなたにも教えてやろう」
「ええ!? いや、僕、そういうのはちょっと……」
「さあ、剣を構えろ」
 嫌々ながらびくびくと剣を引き抜いたカペルを見、トウマが頭の面を顔に移し替える。
「ちょ、本気じゃないですか!」
「当たり前だ。参るぞ!!」

 太陽が頭上に昇る頃には、カペルはもうぼろぼろだった。剣を落とさないことが精一杯だ。
「はあ、はあ……、もうダメです……」
「情けない。世界を救おうとする男がこの程度で音を上げるな」
「いや、僕はただのフルート吹きであってですね」
 ようやく仮面を外したトウマを確認する余力もなく、落とさなかった剣を杖代わりになんとか立つ。手加減してくれていたのだろうけれど、それでもカペルが相手するには厳しかった。
「この辺にしておこう、トウマ」
「ふむ」
 ユージンが助け船を出してくれなかったら、まだ続けるつもりだったのだろうか。ともかく、
「やっと解放された……」
「さあ、昼ご飯にしよう」
 切り株の上に置かれたバスケットには何種類かのサンドイッチが入っていた。
「アーヤくんが作ってくれたんだよ」
「へえ……」
 お姫様なのに案外料理が上手いんだよね、アーヤって。
「カペルくんはトマト、大丈夫かい?」
「ん? 大丈夫ですけど」
「シグムントはトマトがダメでね。結局、旅に出てからも一切口にしなかったな」
「あのシグムントさんがですか!?」
「そう、あのシグムントが、だよ」
 分厚いミートパティとトマトが挟まれたハンバーガーを受け取りながら、シグムントの意外な一面にカペルは驚かざるをえなかった。
 あのシグムントさんが好き嫌いとか……。
 不意にシグムントの幼少期の姿が想像でき、ユージンとトウマにつられてカペルも笑った。
 二人の昔話を聞くのはカペルにも楽しくて、食事の時間はあっという間に過ぎていく。バスケットが全て空になった頃、面の手入れをしながらトウマがぽつりと呟いた。
「……懐かしいな、ユージン」
「そんなに前のことじゃないはずなんだけどね」
 友人を失った二人を見遣り、古い友を失った喪失感というものはどういうものだろうと考えてみる。
 僕には友達なんていなかった。
 失うことの怖さも無いが、こうして笑って話せる思い出も無い。どちらが幸せなことかと問われてもすぐに答えられるはずもなく、ただ、失いたくない友がいるのだと思えるのが、今のカペルだった。
「カペル。シグムントは最後まで立派に戦ったか?」
「はい、それはもう」
「そうか」
 ゆるりと立ち上がったトウマは、一本の木の前におもむろに立った。面をつけ、その手を刀にやる。
 カペルがその仕草を見たと思った瞬間、かちんと金属の触れ合う音が聞こえたかと思うと、トウマの目の前の木が、斜めに走った断面に沿うようにずるりとずれ落ちた。枝葉のこすれあう音が遅れて聞こえてくる。
「改めて誓おう。この刃、あの者が守ったもののために」
 捧げられた剣に陽光が光る。吹いた風が、一瞬、コバスナの木々をざわめかせた。

【小説インフィニットアンディスカバリー】
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テーマ: 二次創作:小説

ジャンル: 小説・文学

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